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日本・フィンランド新音楽協会理事長の一柳慧(いちやなぎ・とし)氏が10月7日、ご逝去されました。
当協会の創立及び、その後の活動に於いてご尽力をいただき、日本とフィンランドの音楽及び、
多岐に亘る分野の融合に多大なる功績を残されました。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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2022年 駐日フィンランド大使館での演奏会の模様を、アクティビティにアップしました。
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11月28日(月) 東京ウィメンズプラザ・ホール
■講師:石野 裕子(国士舘大学准教授)

「フィンランドにおける第二次世界大戦の記憶と表象」
◆第一部:講演会「フィンランドにおける第二次世界大戦の記憶と表象」
◆第二部:演奏会「第二次世界大戦期に生まれたフィンランド音楽とその影響」

本講演では第二次世界大戦中に勃発したフィンランドとソ連の2度に渡る戦争
(冬戦争1939.11-40.3、継続戦争 1941.6-44.9)が、
戦後フィンランドにおいてどのように国民に「記憶」され、
また表象されていったのかを歴史教科書、映画、小説などを題材に見ていきます。
現在のロシアのウクライナ侵攻と冬戦争の「記憶」との関連についても触れます。

ご講演いただきました石野裕子氏よりメッセージを頂いております。

「みなさん、多くの感想と質問をお寄せいただきありがとうございます。
コロナ禍に入ってから対面での講演は本当に久しぶりで、私も非常に楽しみにしておりました。
熱心に聞いてくださり、また講演後も多くの感想を直接伺って(zoomは便利ですが)やはり対面はいいものだなと改めて実感しました。
ウクライナでの戦争は今も続いています。
すこしでも早く戦争が終結し、平和な世界が戻ってくるのを祈念します。
またみなさんとどこかでお会いできるのを楽しみにしています。私もそれまでに研鑽を積んでおきます。」

質問へのご回答

1.フィンランドとエストニアの関係について、民族的にも言語的にも非常に近しい”小国"同志だ、 一つに結びつく 、 まとまるといった歴史的過去から現在に至るまで存在したのでしょうか?

フィンランドとエストニアは確かに言語的に似ており、「兄弟民族」「近親民族」という考え方もかつては一部の知識人の間に存在していました。また、互いにナショナリズムが進展した19世紀から20世紀にかけて学術交流や文化交流など行われていました。その点で「連帯する」という動きはありましたが、一つにまとまるというような動きは見られませんでした。やはりフィンランド人とエストニア人は別の民族であり、それぞれが独自の歴史や文化を有していたからです。
しかし、互いの近親感情は20世紀に入ってからも残っており、たとえば、バルト三国の再独立運動にも連帯し、協力する動きがフィンランドで見られました。しかし、これは北欧諸国に見られる動きでフィンランド独自ではありませんでした。またフィンランドの政治家は、ソ連との関係を考慮して、当時公的にはバルト三国を支援することには消極的でした。そのため、バルト三国はフィンランドのこうした姿勢を非難したことがあります(このあたりの話は拙著『物語フィンランドの歴史』の第6章で扱っています)。現在は隣国として友好関係を維持しています。

2.記憶と表象の関連性が現在の若者にどう写っているのでしょうか?ヘルシンキ大学での研究内容にも触れていただけると嬉しかったです。

現在の若者は当然ながら第二次世界大戦を体験していないので、映画などの戦争の表象が「記憶」として認識されていっている現象を先日の講演でお話ししました。 特に講演で取り上げた映画『無名兵士』の影響は大きいと思います。
ヘルシンキ大学に留学していた時は、叙事詩カレワラがどのように知識人たちによって解釈され、大フィンランド思想という領土拡張思想の源泉となったのかについて研究していました。ヘルシンキ大学での研究は博士論文の一部となり、博士論文を書籍化したものが『「大フィンランド」思想の誕生と変遷ー叙事詩カレワラと知識人』(岩波書店、2012年)となります。

3.第2次世界大戦でソ連に敗けた国同志として、フィンランドの人たちには日本に対する共感の気持ちはありますか?

それは聞いたことがありません。ただ、日露戦争の話はよくフィンランドの高齢者の方によく話題にされます。「日本はロシアに勝ってすごい!」とバスを待っている時に知らないおじいさんから話しかけられたのを今でもおぼえています。

4.フィンランドの対ロシア市場はフィンランドにとっても大きいマーケットだと思います。 たくさんの企業がモスクワから撤退を余儀なくされたかと思いますが、今後の国家戦略に影響はあるのでしょうか?

もちろん影響はあります。現にロシアからのエネルギー資源に関しては、EUとの協力がすでに行われています。 またご存知のように、2022年5月、フィンランドはNATO加盟申請を表明し、加盟申請中です。フィンランドの安全保障政策も大きな転換を迎えています。

5.安全保障の面においても、フィンランド―ロシアは、以前のような友好関係に戻る可能性は考えられるのでしょうか?

現状では難しいと思います。

6.日本人や日本語が類似していると言われますが、本当ですか?

フィンランド語の母音が日本語と重複しているので似ている部分があります。発音もしやすいので是非フィンランド語に注目してください。私が好きなフィンランド語の響きは「tottakai(トッタカイ)!」です。「もちろん!」という意味です。 日本人とはシャイな面が似ていると言われますが、個人差があるのでフィンランド人と日本人が似ているとは断言できません。ただ、個人的な感想ですが沈黙しても互いに気を使わなくていいフィンランド人が多いので付き合いが楽です。

7.サーメ人の我慢強さと勇気についてもお話しをお伺いしたかった。

今回の講演では触れられることができなかったですが、機会がありましたらラップランド戦争についてもお話ししたいです。

8.現代に於いても戦争により、新たな音楽は昔と変わらず生まれているのでしょうか?

音楽については専門ではないのですが、人間はどのような状況下でも芸術を生み出す生き物なのは歴史からも証明されていると思います。

2022年 11月28日

主催 : 日本・フィンランド新音楽協会
後援 : フィンランド大使館、北欧文化協会、 一般社団法人日本フィンランド協会、日本シベリウス協会、 一般社団法人日本フィンランド文化友好協会




Japan Finland Contemporary Music Society
日本・フィンランド新音楽協会 について


日本・フィンランド新音楽協会は、2010年8月、作曲家一柳慧氏、当時のフィンランド大使館文化担当参事官、チェロ奏者セッポ・キマネン氏を中心に、日本とフィンランドにて現在活躍する作曲家、音楽家の交流を図り、作品を発表する場を設け、様々な視点から考察していくことを目的として創立されました。

一柳慧

セッポ・キマネン

一柳慧
1933年神戸生まれ。作曲家、ピアニスト。10代に2度、毎日音楽コンクール(現・日本音楽コンクール)作曲部門1位となり注目を集める。1954年19歳で渡米、ニューヨークのジュリアード音楽院に学ぶ。その後もジョン・ケージらと実験的音楽活動を展開する。61年帰国し、偶然性の導入や図形楽譜を用いた作品を発表、作曲、演奏の両方で意欲的に活動。自作ならびに欧米の新しい音楽の紹介と演奏は、さまざまな分野に強い刺激を与えた。60年代から現在に至るまで、常に日本音楽界の中心として活動を続けている。作品は、オペラ、交響曲、協奏曲、室内楽作品のほか、コンピュータ音楽、雅楽や声明を中心とした伝統音楽など多岐にわたる。文化功労者(2008年)。現在、神奈川芸術文化財団芸術総監督、トーキョーワンダーサイト・ミュージックプログラム・スーパーバイザー。

セッポ・キマネン  Seppo Kimanen
1949年フィンランド、ヘルシンキ生まれ。シベリウス・アカデミー、プラハ音楽院、パリ音楽院にて研鑽を積む。1971年以降、トゥルク・コンセルバトリーにてチェロ講師として勤務、1974年~1977年フィンランド放送交響楽団主席チェリスト、1975年~1991年シベリウス・アカデミーにてチェロと室内楽の教鞭をとる。
1980年、シベリウス弦楽四重奏団を結成し、まもなく北欧において重要な位置を占めるようになる。30年間に渡る演奏活動の中で、数多くの曲を初演し、現代音楽と古典、ロマン派音楽との融合を図ってきた。ヨーロッパ諸国、アメリカ合衆国、日本、韓国、チリ、オーストラリア、インド、タイでの演奏活動を行う。 フィンランディア レコード社、オンディーヌ社などからCDをリリース。
1970年、妻のヴァイオリニスト新井淑子氏と共に、クフモ室内楽音楽祭を創設、2005年まで音楽監督を勤める。フィンランドでは講師、作家、ラジオ、テレビ番組の音楽ディレクターとしても活躍。
1986年にプロ・フィンランディア・メダルを受賞、1988年音楽部門賞、1999年名誉教授の称号、2000年フィンランド国よりState artist professorshipを授与。
ロンドン国際弦楽四重奏コンクール、ショスタコヴィッチコンクール、ARDコンクールなど数々の国際コンクールの審査員を勤める。ドイツ政府から殊勲十字章、フランス政府から国家功労賞を授与。
2005年~2007年、ロンドン、フィンランド・センター所長、2010年からカウニアイネン音楽祭の音楽監督、2007年~2010年、駐日フィンランド大使館文化参事官に就任。
3人の子供と6人の孫がいる。趣味は読書、テニス、ゴルフ。

活動内容
1. 日本・フィンランドにて年数回の演奏会
2. 日本・フィンランドの音楽関連資料の交換、収集、発表
3. 講演会、公開講座、シンポジウムの開催
4. 協会会員との懇親会
5. 会報の定期発行

日本、フィンランドにて現在活躍する作曲家の様々な楽曲が、これまでも両国で高い評価を受けていますが、更に広範囲にご紹介していきたく、本協会では会員を募集しております。
会員の皆様には定期発行の会報をお届けいたします。また本会主催の演奏会、講演会、公開講座、シンポジウム、作曲家・音楽家を交えた懇親会等へご招待、または優待制度がございます。更に会員の方々に演奏の場を提供することによって、現代の作品に触れる機会を拡げ、理解を深めることを目的としています。  
ご入会を希望される方は当会事務局宛に、別紙の申込用紙に必要事項をご記入の上、封書にてお送り下さい。またEメールでのお申し込みも受け付けております。 ご登録後に折り返し年会費の振り込み用紙をお送りいたします。詳しくはこちらをご覧ください。

会報 (PDFファイル)
Vol.1 Vol.1 Vol.2 Vol.3 Vol.4

日本・フィンランド新音楽協会シンボルマーク・天使について
天使
このシンボルマークは一柳慧と粟津潔(故人)の友情がもたらしたものです。
1986年・粟津潔により描かれた「エンジェルシリーズ」からの1点です。
「少年は創造の彼方をめざし、新たな音を結び我らにもたらす」 粟津は、こんな言葉を添えるかもしれません。
日本とフィンランドの創造者たちと共に少年エンジェルは永遠に飛び続け ることでしょう。



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